2月 5, 2010 0

なぜ年を取ると時間は早く過ぎるのか

By ayamame in 未分類

なぜ年を取ると時間は早く過ぎるのかアレゲである。子どもの頃は一日が長かった。大人になったら短くなった。それでも時計は昔からマイペースである。こちらはこちらでマイペースであるけども、事情が違うようだ。それはまるで、己が身の朽ち果てるその時までの猶予に比例しているようでもあり、ベッドの上で果てるのに要する時間に反比例しているようでもある。

▽動体視力が高ければ速いパンチでも遅く体感するように、正面から自転車に乗ってやってきたミニスカ姉ちゃんのパンチラが偶然見えた瞬間なんかも実際より長い。一瞬が相対的に長くなる瞬間である。ちょっと可愛いだけで凄く長くなる。しかも手ぶれ補正付きである。そういう意味では心のフレームレートが上がっているといえる。もしかすると、子どもの頃は万事に対して心のフレームレートが高かったのではないか。

▽一瞬のパンチラを超スロー再生させる正体は、興味であり、好奇心である。興味があるから見るのである。興味は無知から萌芽した好奇心を源泉にする。子どもの頃は押し並べて無知であり、全方位に好奇心の芽が息吹く可能性を孕んだ状態である。俗に子どもは感受性が鋭敏であるというのもそういうことだと理解できる。大人になると人によっては鞭やムチムチが好きになるが、それは散漫だった好奇心が極に特化しただけだ。

▽好奇心は純然に向いている方向のフレームレートを上げ、一瞬をつぶさにまで噛み砕く。対象についての動体視力を上げ、同じ時間に取り扱う情報量を増やす。これが全方位に行われるとしたら、どうだろう。だが人生を走る経験の中で、あたかも BGM と画面描画がズレのないようフレームレートを落とすように、ブレーキの踏みどころを覚えて大人になる。走る方向が定まっていなければ踏むべきブレーキもない。それが子どもの時間であり、大人の時間との違いだと考える。

▽というようなことを行頭に▽つけてソレっぽく書いたら面白いかなと思ったけどそうでもなかったのである。まァ、そんなもんである。子どもの頃は一日が長かった。大人になったら短くなった。じゃあ、ちょうどいいのはいつだった。

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